美を求めた音楽家たち

2021年11月に本校主催で開催した演奏イヴェント、チャリティーコンサート2021「美を求めた音楽家たち」。多くの芸術家が憧れを抱く「美」をテーマに東京芸術劇場で行われた本イヴェントは様々な反響を持って幕を閉じた。

そのイヴェントの中で公開された、世界的なピアニスト野島稔氏へのインタヴュー「美について」を特集する。

ピアニスト 野島 稔

音楽だけに限らないと思いますが、先日、インタヴューを受けまして、その方が私の音がとても素晴らしい、とおっしゃってくださって、どうしてか理由がお分かりになりますか、というような質問をされたんです。それで、たまたま少し前に YouTube で晩年のルービンシュタインにアメリカ の評論家が質問しているのを観た事を思いだしました。

それこそルービンシュタインの音は素晴らしいピアノの音の代表格と言いますか。誰もがそう思って、今まで何万回もメンションされてきたわけなんですけれども。ルービンシュタインに「その音に至った経緯がわかりますか。」と質問された。 その時ルービンシュタインは「わかります。」と はっきりおっしゃるんですね。彼は、かなり若い二十歳代の時にチェコのプリマドンナ、エミー・ディスティンを聴いて、その時に雷に打たれたような衝撃を受け、「人間の声というのはこれほど素晴らしいものだ」というのを初めて経験したそうです。それで自分は変わった、と。それをはっきり自分の中で自覚されていた。

ルービンシュタインさんと比較しては烏滸がましいのですけれど、私も姉が二人歌をやっておりまして。中学生の時ですかね、ちょうど音大生になった姉の伴奏をさせられまして。それから歌をよく聴くようになったんです。自分のレパートリーでないものの中で音楽を学んでいました。人間の声がこれだけ素晴らしいものになる、というのをちょうど中学3年生くらいの時に知ってとても感動しました。

弾いている音楽の性格というのを具体化、具現化した時にやはり本当の音楽の美しさが出てくると思うんですけれど、音の持っている真実味、本当のあり方、というとおかしいんですけれど、そういうものが自分の中で定着した時に、音が決まる。自分の音と自分の中から出てきた声と合致させるという無意識の作業が行われていると思うんです。

そうした時に自分の中の「真実の声」というのが自分がかつて素晴らしいと思った「声」にかなり影響を受けていると思うんですよね。僕は学生によく言うのは、何か一つの音で表現したいと思った時に、それなりの準備をするわけですよね、タッチですね。発音。色々苦心して、こういう準備をした時にこういう音が出る、と言うのを決めなければいけない。その準備をするときにイメージと言うのが大事だという事です。私の場合は姉と音楽を学べてラッキーでした。自分が表現している音楽の内容に音のイメージが合致しなければ、いくら表現しても虚しく響くだけということはあります。

ですから、そのイメージを膨らませるために高校生の間はとにかくいろんなことを感じ、いろんなことにトライして、結果間違ってもいいですから、チャレンジが一番大切な時期だと思います。自分の心を切り裂いてみる、というか。

それと、自分が練習している音楽だけではなくて、幅広く、というのが大切。高校生活自体を楽しむ。音楽以外でも毎日、毎日新しい経験をしていると
ころだと思いますので。もうひとつ私の経験の中で美しさに関して印象に 残っているのは、私は恩師の井口愛子先生に7歳から大学3年生まで長い間師事していて、小学生 の時にハノンの一巻でスケールの練習をしなくて はいけないのですけれども、単なる指の練習では なくて、そこで初めて「音階の美しさ」というの を教えられたんですね。「音階というのは美しく 弾くとこう美しくなるんだ」と。今から思うと非 常に重要な出来事だったと思います。調性によっ ても、C dur と Fis dur では性格も色も違う。同時 にそういうことも感じながら練習する。これはとっても根本的な体験でした。

それと、これは美、というのとは違うかもしれな いのですが、井口愛子先生のお弟子さんのリサイタルに行った時、初めてドビッシーの「水の反映」、 印象派の音楽を聴いたんです。世の中にはこういう音楽があるんだ、というなんとも言えない魅力を感じたんです。そういう「初体験」というもの、 一つ一つの体験というものが、自分の中に食い込んで、美意識となって組み込まれていますね。 今の時代、インフォメーションというか、先入観が先立ってしまっています。

我々の時代は戦後間もなくて、まだ印象派の作品なんて知らないですから、それを初めて聴くのと、散々聴いたことのあるのとでは違うかもしれませんが、でも誰にでも「初めての体験」というのはあるんです。そうした時に、自分をまっさらな、オープンな状態にして、何の先入観もなく体験する音との響きあいを体験する、例えば新しい曲を勉強する時、楽譜と自分で。名曲になりますと先入観はなかなか拭えないですから難しいですけれど、でもそういう状態を作る、ということが大切です。

ー野島先生は現代曲も多く演奏されていますね。

アメリカでデビューして間もない時に間宮芳生さんから依頼があって初めて生きていらっしゃる方の曲を演奏したんですね。ピアノコンチェルトでしたので長い曲でした。間宮芳生さんは約束の期 日までに全部送ってくださる几帳面な方でしたけれど、アメリカに住んでいましたので、部分的にできたところから送られて来ます。そうすると、 ベートーヴェンのソナタやショパンのポロネーズ とは訳が違ってなんの予備知識もない。自筆で書 いたスコアで。最初に ppp と書いてあって、そう いう事を一つ一つを食い入るように見ないといけ ない訳です。

ppp とはどういう性質の音なのか。 前後の雰囲気だとかを考えながら弾き方を定着さ せなくてはならない。そうすると何百種類も弾き 方が自分の中であって、例えば、どこでソフトペダルを踏むのか、放すのか、タッチはどうか、右のペダルはどうするのか。楽譜しか頼りがない。 

穴が開くほど楽譜を見ました。後から間宮さんとお話したら、「野島さんのイメージで書いたからどう弾いてもいい」とおっしゃって。そういうも のでもないだろうと思ったのですが、それも大きな体験でした。 誰かが弾いたCDとかがあればいいんですけれど、 オーケストラのスコアも完全なスコアでなくて 2 台のピアノ用に簡略化されたものでしたから、そ れもイマジネーションを働かせなくてはいけな し。

それは自分にとっては貴重な、画期的な体験でした。 でも、初演というのは世界に自分の音しかない、存在しない訳ですから、自分の中に一度 定着してしまいすと、そういうプロセスを経てますので自分のものになりやすいです。自分が音を クリエイトしている、というのを直接感じることができますよね。責任感も当然感じますけれど。既成名曲の考え方もそうでなければいけないな、と思うんです。

演奏している時には自分が何かをクリエイトしているというスピリットを忘れてはいけないということですね。高校生はチャレンジ精神を持ってエネルギッシュに、それを体現するとそれが血となり肉となる、そういう時代だと思いますから、みんなも頑張って欲しいですね。
(2021 年 11 月 15 日インタヴューより)